採用情報 / 卒業生の声 / 石崎 宏幸氏

石崎 宏幸氏
Ishizaki Hiroyuki

プロフィール

早稲田大学大学院理工学研究科 機械工学修士課程修了後、 富士ゼロックスにて技術者として商品開発、経営企画スタッフとして 中長期全社経営計画・海外戦略・R&D戦略・国内提携戦略策定などに従事。 その後、戦略系コンサルティングファームのアーサー・D・リトル(ジャパン)に転職し、 マネジャーとして機械、エレクトロニクス、化学・素材など製造業全般のクライアント企業に対する経営計画、長期ビジョン、R&D戦略、新事業開発戦略策定を支援。 現在は、スリーエム ジャパン 執行役員として、エレクトロニクス&エネルギービジネスを担当。


複写機技術者がMBAを目指すまで

キャリアは大学院卒業後、富士ゼロックスで複写機の開発をするところから始まりました。
複写機の開発はケミカル・エレキ・メカの3つのパラメータを如何に合わせ込むかという世界であり、その奥深さにのめり込んでいました。
その後MBAを目指したのは、「技術をいかに収益に結びつけるか」ということを学びたいということが主目的でした。
当時、会社の技術が必ずしも収益に結びついていないと感じたことは、私にとってショックであり、戦略やマネジメントに興味を持つ大きなきっかけとなりました。
富士ゼロックスは、技術では競合他社に勝っていると自負していたのですが、カラーコピーを世の中に広めたのも、デジタル化も競合に負けていて、当時は追いつくために開発チームは大変な思いをしました。
一方で、30歳を迎えるにあたり、技術以外の世界を見てみたい、そして、英語でのビジネスコミュニケーション能力を身につけたいという思いもありました。技術を知る人間が、戦略面まで考えることができれば、他の人とは違う価値を持つ人材になれる、会社の役にも立てると考え、MBA行きを決断しました。

「運転ができない」MBAホルダーの悩みとADLとの出会い

米国ノースウェスタン大学のケロッグ経営大学院でMBAを取得後日本に戻り、かねてから希望していたコーポレート戦略部に配属されて経営企画に携わることになりました。
具体的には、中期計画や年度計画の策定、日本とアメリカの戦略整合プロセスに従事しました。実務の世界に戻ってすぐは、例えるならば「運転免許は取ったが、運転はできない」状態でした。
普通は会社や業界のルールを覚えることから始め、守・破・離の順でステップアップしていく際に、MBAが新たな視点のインプットとして役に立つものなのですが、私の場合はその順序が逆でした。経営に携わったことがなく、業界や会社のルール、過去の失敗を知らないままにMBAで学んだツールだけで戦うことは難しいのが実態で、力不足を感じていました。
一方、海外MBAの名に恥じない仕事をしたいという意地もあったので、コンサル顔負けのストイックな部署においてハードワークを重ね、徐々に仕事の範囲を広げていきました。特に、アメリカとの戦略整合プロセスにおいては強みの英語を生かし、他の部門メンバーとは、強みのポイントを変えた戦い方をするという意味で、いわば「軸をずらして」勝負するようになりました。
努力の甲斐あって、社内ではある程度自分自身の立ち位置を見出し、仕事を楽しめるようになっていったのですが、一ビジネスパーソンとして、会社や役職の枠を超えたところで自分に何ができるのかという問いに対して答えが見つからないという悩みもありました。社会に対して「個」として価値を発揮できるようになりたいという想いが強くなっていたころ、偶然ADLを紹介されました。そして、様々なADLerとの面接を通じて、技術と経営を繋ぐADLのネイチャーに共感し、ケミストリーを感じたことから、最終的にADLへの転職を決めました。

「個」を認められ、マネジャーに昇進

ADLに入社後、初めてのケースは年下の先輩に教えてもらう事から始まりました。クライアントとのディスカッションにはついていくことができたのですが、社内に戻ってからのミーティングでは議論スピードやフレームの切り方に衝撃を受け、世の中には天才がいることを知りました。
ミーティングの最後に、「じゃあ、ここの部分は石崎さんにお願いしますね」と言われましたが、はっきり言って何をしていいかさっぱり分からず、暗中模索の日々が始まりました。体力的には厳しい状態が続いていましたが、データを調べ、インタビューを行い、考えをスライドに落としこむという基礎を学ぶことができ、また、クライアントとの膝を突き合わせたディスカッションを通じてアウトプットを作り上げていく「Side by Side」の醍醐味を感じることができました。
その後、プロジェクトが大型化して欧州の合弁会社との交渉パートを任されることになり、前職での経験を生かした自分なりの「軸をずらした」価値を発揮することができました。
結局、入社して約1年間、クライアントから継続受注を頂くことになりました。最終的には自分がリーダーロールを担い、プロジェクトメンバーに仕事を振り分け、クライアントの期待に応えながら次のプロジェクトを受注するということを経験し、入社前の目標であった「個」として対価を頂くということが少しずつできるようになっていきました。また、ケースワークを通じて感じていたことに基づいて新しいフレームワークを構築し、新規クライアント向けのセールス活動も行うようになりました。そして、自分なりのコンサルティングスタイルを確立し始めた頃、入社1年9カ月でマネジャーに昇進することができました。

ADLで学んだ「運転の仕方」

マネジャーに昇進してからは、事業会社での経験とコンサルティング会社ならではの分析を組み合わせ、クライアントのハードとソフトの両面の要求を汲み取りながらアウトプットを出せるようになっていきました。ゴールを設定し、経るべきプロセスを設計し、タスク分解とチームメンバーへの振り分けを行い、金銭的に価値のあるメッセージを抽出する。メーカーのように自社製品をもっておらず、拠り所となるのは自分、そしてメンバーの頭だけという状況のなかで、形はどうであれ何とかゴールまで辿り着くことができるようになりました。
コンサルタントの技能として、アポイントを取り、インタビューを行い、集めた情報を料理することを身につけねばなりません。また、そこから経営層へのメッセージを抽出する能力も必要であり、それは最終的に思考を具現化していくための足腰になると考えています。
この上にプロジェクトマネジメントがあり、大所高所からプロジェクトの進行を見据え、舵を取っていくことが求められます。更にその先には、プロジェクトオーナーである経営者の期待値を見極めていくことも重要となります。これは現在、事業責任者として株主との距離感を測ったり、従業員の期待を裏切ってはいないか内省したりするうえで非常に役立っています。

ADL後のキャリア

コンサルタントを辞めようとは思っておらず、色んな誘いも断っていたのですが、いずれは事業責任者を務め、その先にある経営者のパスを取りたいという想いはありました。そんな中、3Mから経営企画統括部長ポジションに挑戦してはどうかと声を掛けられました。
3Mはテクノロジープラットフォームに強みを持つ代表的な会社で、技術をマネジメントして収益に繋げるという考えに自分は大変共感しましたし、ADL時代にも3MのCTOに講演をして頂いた馴染みもあって、憧れている会社でした。私はADL入社時と同様にケミストリーを感じたため、転職を決め、会社全体のマーケティングを司り、スリーエムジャパンの社長にレポートを行うポジションで入社しました。
3M入社後の最初の仕事では、スリーエムジャパン50周年の区切りとして、新たなコーポレートスローガンを創るプロジェクトをリードしました。次の50年で何を目指すのか、お客様にどんな価値を提供したいのかを四半期に一度開催される各拠点でのコミュニケーションミーティングに参加した社員全員と議論し、「わくわくをみんなでカタチに」というスローガンができました。
私はそれまで広報の経験が無かったのですが、社員の皆さんの力を借りながら、ゴールを示し、プロセスを設計し、コンセプトへと昇華して見える化し、承認を得て全社に発信することができました。3Mには20以上の事業部、約45種類のテクノロジーがあり、色々な技術と人の繋がりのなかでバリューを生み出すのが3Mの本質であることを感じ取ったため、「みんなで」という言葉に行きつきました。ADLでの経験が無ければ、全社に方向性を示しながら、社員一丸となってこのようなゴールにたどり着くことはできなかったと思います。
コンサルティングとはポジションのアドバンテージを活用したビジネスであって、コンサルタントは言いたいことが何でも言える恵まれた環境において価値を出しています。しかしながら、当然事業会社の中では状況・立場が異なりますから、そういった態度では通用しません。重要なのは、コンサルに転職するときも、コンサルから転職するときも、自分の経験を一般解として捉え直して適用していくことではないでしょうか。「MBAを習った」「コンサルを卒業した」「前職では優秀だった」といっても自身の経験を組み替えて一般化していくことができなければ新しい環境で価値を出すことはできません。ゴールを設定し、プロセスを考え、走り抜けるという「運転の仕方」はどこに行っても共通であり、だからこそ私自身はADLの後、3Mでの経験が浅いにも関わらず、事業部長としてPL責任を持ち、意思決定を行って、結果を出していく仕事を任せてもらえたのだと思っています。
ただ、実際には外部から来た人間が事業部長を任せてもらうということは想像以上に難しいことでした。社内では、コンサル上がりの頭でっかちが業界のルールを理解し、お客様の心を掴んでモノを売り、チームをマネジメントすることができるのかという厳しい目で見られていたと思います。私は事業部を小さな会社と捉え、自分は責任あるその社長だと思って経営を行うことを心がけました。自社のケーパビリティを見ながら、会社全体のリソースに対する投資配分のバランスを総合的に考えて最適化し、また、曖昧な共通認識であった課題の見える化や課題解決のプロセスの設計を行うことで目的達成を積み重ね、今では複数の事業部を束ねる職務を任せてもらえるようになりました。
解があるものに関しては、必ずゴールに辿り着ける。ADLを経験した自信があったからこそ、会社としてあるべき正しい方向へと導くことにチャレンジ出来るようになったのだと思います。

ADL志願者へのメッセージ

ADLに入社したら、最初は力不足を感じることでしょう。しかしそこからがスタートです。
ADLに入社を認められたのならば、コンサルタントとしての素養は必ず持っています。事業会社でスタートして、経験を持った上で入る中途だからこその価値があります。また、自分しか持っていないもの、自分にしかできないことが必ずあるはずです。それを早く見つけ出し、それを核としながら、足りない能力は後から補えばよいのです。ADLの経験を経て、そのままコンサル道を極めるのもありですし、もう一度、立場を変えて事業会社にチャレンジすることも大きな意味があると思います。ADLを通じて、自分なりのコンサルタント像に向かっていってほしいと思います。